私が小学1年生のとき、家の近くで父が一匹のアゲハをとってくれた。手中にあるやわらかい羽の橙色があまりに美しく、私は息をのんだ。そのときの、喉の奥のうずきは、今でも思い出すことができる。
学部では物理を主に学んだが、大学院では行動生物学をやることにした。少し前に動物行動の研究でノーベル賞をとったローレンツ、フリッシュ、ティンバーゲンの影響があったのだと思う。大学院に入ったとき、先生は「好きな動物で、好きなことをやりなさい」とだけおっしゃった。すぐに浮かんだのはアゲハだった。アゲハに関することならどんなことでも楽しいだろうと思った。手当たり次第に実験するうち、偶然アゲハのお尻に光受容細胞があることを見つけ、大学院ではこのお尻の“眼”を研究した。
アゲハが“本当の眼”で見ている世界が気になり始めたのは、助手になって複眼の分光感度を測る実習を担当していた頃である。以来、多くの学生や共同研究者に恵まれて研究を続けてきた。アゲハの複眼には6種もの色受容細胞があること、個眼には3タイプがあること、色覚は紫外・青・緑・赤の4色性で色恒常性もあることなど、ずいぶんと色々なことが判った。ちなみにアゲハは、ヒトをも凌ぐ優れた色覚をもつ(暫定)チャンピオンである。
チョウが見る世界を私たちがどう調べてきたか、その一端をご紹介する。
略歴:自由学園最高学部、上智大学大学院卒。理学博士。専門は神経行動学。オーストラリア国立大学、アメリカNIH、横浜市立大学などを経て、2006
年より現職。チョウの色覚や光感覚に関する研究で、国際ロレアル色の科学と芸術賞、日本動物学会賞、横浜文化賞、木原記念財団学術賞、日本比較生理生化学会賞など。
ハトを使った錯視研究を紹介する。ハトの視覚研究に携わることになったのは、ハトが図形の、ほかの図形に隠された部分を補って知覚するか(アモーダル補間/補完)調べたことがきっかけであった。ハトのアモーダル補間については、否定的な結果のリストが充実したため、私は結論が得られたと考えたが、この結論に対する学界の受け取り方は複雑であった。これは、視覚情報処理の多様性に対して、我々の想像力がいかに制限されているかを物語っている。補間研究を離れて、比較的最近取り組んでいる主観的輪郭、大きさの錯視研究を紹介する。これらの道のりを通じて得られた技術を携え、再度ハトにおける補間(アモーダル補間、透明視)に挑戦した研究を最後に紹介する。
略歴:2000年 京都大学文学部卒、2005年 京都大学大学院文学研究科修了、博士(文学)取得。同年千葉大学文学部助教授。職名変更、配置換により、現在、同大学院人文科学研究院准教授。
我々にとって質感―ものの材質や表面の状態―は、対象への適切な行動を喚起させ、続いて起こる出来事やそれに伴う情動を予測させるはたらきを持つ。たとえば、イチゴの表面のツヤは、食べるという行動を引き起こすとともに、食べた時の味や香り、瑞々しさを予期する手がかりにもなる。視覚情報から質感を知覚する仕組みは、近年ヒトだけでなく、ニホンザルやオマキザルなどの複数の霊長類種において示されてきたものの、質感知覚がヒトを含めた霊長類の行動にどのように関わっているのかに着目したものは少ない。本講演では、チンパンジーの食物選択や配偶者選択における光沢知覚の役割や、チンパンジーにとって光沢の質感が行動や情動を喚起させる鍵刺激となる可能性について検討した比較認知科学研究の成果を紹介する。それらの成果を踏まえて、ヒトの質感知覚の適応的意義や、進化的基盤について考察したい。
略歴:2006年 関西学院大学大学院文学研究科心理学専攻 博士課程後期課程 修了・博士(心理学)、2007年 日本学術振興会特別研究員(PD)、2009年
京都大学霊長類研究所比較認知発達(ベネッセコーポレーション)研究部門・特定助教、2011年 京都大学霊長類研究所思考言語分野・特定助教、2012年
新潟国際情報大学情報文化学部情報システム学科、講師(2015年より准教授)、2018年より現職。
マウスの形態視について、霊長類や鳥類など、他の分類群との比較から概説する。マウスやラットは、夜行性の哺乳類である。そのため、確固たる根拠があったわけでもないが、視覚より聴覚や嗅覚などの感覚モダリティのほうが優れていると考えられていた。鳥類や霊長類では、以前からさまざまな視覚認知研究が行われてきたが、それらの分類群を対象とする研究では欠かせないタッチモニタを取り付けたオペラント箱の普及も、げっ歯類の研究に本格的に導入され始めたのはごく最近のことである。また、装置の導入が進んできたものの、げっ歯類はモデル動物として学習や記憶を評価されることが多く、視覚認知そのものの研究はまだ多くない。本講演では、現在、私の研究室で取り組んでいるテーマを中心に、げっ歯類での視覚認知研究について紹介し、この分類群における比較研究の展望についてお話ししたい。
略歴:慶應義塾大学卒、University of ExeterにてPhD取得。University of Nebraska、
Lincolnポスドク、日本学術振興会特別研究員(PD)、京都大学特定研究員、を経て現職。
「色覚」は、視覚の一つの要素だが、日本社会においてことさら大きなものとして焦点が当てられてきた。「色覚異常」は、「正常」とはかけはなれた確固としたカテゴリーとして認識され、今となっては思い込みでしかなかった様々な分野で、就労の制限があった。また、「民族の向上」を目的とした「優生学」の発想から、当事者は結婚して子孫を残すことについても問題視されており、中学校、高校の保健体育の教科書にもその旨の記述があるなど、様々な面で社会的に疎外されていた。すでに忘れられつつあるこれらの事項を簡単に振り返る。
さらに、2020年代の今、これまでの「正常・異常」の枠組では語れない色覚の連続性、多様性が意識されるようになった背景を概観する。かつての医学が陥った落とし穴を検証しつつ、科学的知見の重要性と、その知見を社会に応用する際に必要になる「思慮深さ」について考える。
略歴:
1964年 兵庫県明石市生まれ、千葉県千葉市育ち、1989年 東京大学教養学部教養学科(科学史科学哲学専攻)卒、1989-97年 日本テレビにて報道記者などのかたわら文筆活動を開始、1997-98年
コロンビア大学ジャーナリズムスクールに、「モービル・コロンビアフェロー」として在籍、2018年
『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、科学ジャーナリスト賞2018、講談社科学出版賞を受賞、2021年
『理論疫学者西浦博の挑戦 新型コロナから生命をまもれ!』(中央公論新社 西浦博と共著)で科学ジャーナリスト賞2021を受賞。
※ 2020年に『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の色覚原論』(筑摩書房)を出版
ヒトの非侵襲脳機能計測において、初期視覚野の脳活動の色相に対する選択性では、無視できない個人差が観測されている(Kuriki et al., 2015; Kaneko et al.,
2020)。視覚系の入力側を見ると、錐体のピーク感度とその分布数(主に L:M 比率)、黄斑色素濃度、水晶体黄変など、個人差が起こりうるフロントエンドの要素がある。いずれも L-M 軸方向もしくは L-M と S
の軸方向の尺度比として違いが現れうる要因だが、脳活動の個人差はこれらの軸方向の変化とは明らかに様相が異なる。フロントエンドの要素は、白色点やユニーク色の色相判断など色の見えへの影響が小さいことも知られている。出力側に近い色名呼称の個人差も、脳活動に比べ個人差が小さい。さらに異常3色覚者の脳活動に認められる
顕著な個人差(Tregillus et al., 2020)も考慮すると、脳内の色情報表現は個人間で相当に多様である可能性がある。この脳活動の色相選択性の個人差と色知覚の多様性との関連について考察する。
略歴:1996年3月、東工大 博士課程修了(博士(工学))。東工大、東大、NTT-CS研、 東北大を経て、2021年4月から埼玉大学。脳内の視覚情報処理、特に色知覚と脳
機能の関係について、心理物理・脳機能計測・計算モデルを用いて研究。
色は自身にとっては鮮明な主観的感覚であっても、他者がどのように見えているかを直接体験することはできない。よって、人々の間の主観的な色感覚の同一性や違いは永遠に分からないかもしれない。しかし、知覚を定量化したり、どのように見えているか内観を聞くことによって、色覚の共通性や多様性の客観的理解は可能である。典型的な色覚の理解は映像技術等の発展に寄与してきたが、今後は社会的にも重要性が指摘されている多様性概念に対しどのようにアプローチするかが問われてくると考えられる。本発表では、生物進化の視点を加え、色覚が様々な環境に適応しながら多様に進化してきたことを再認識することが、主観にとらわれ過ぎずに色覚の多様性を理解するための一つのきっかけとなることを提案したい。
略歴:筑波大学生物学類卒、東京大学大学院新領域創成科学研究科修了。生命科学博士。自然科学研究機構生理学研究所研究員、学術振興会特別研究員などを経て、2019年より現職。
色の見えには個人差があることが知られており、異種メディアにおいて同じ測色値で再現された色は、必ずしも同じ色として知覚されない。この原因として考えられる一つは、測色値を算出するのに用いられている等色関数である。これは1931年に国際照明委員会(CIE)で制定されたもので、多数の被験者の平均値である。狭帯域な色表示装置では、表示波長の等色関数の違いがより強調されるため、色の見えの違いが顕著になる可能性がある。本発表では、このような個人の色の見えを生み出している要因について概説するとともに、簡便な装置を用いた等色関数の測定法や、等色関数に関する最近の動向について紹介する。
略歴:富士ゼロックス(株)勤務を経て、2009年から山形大学工学部(准教授)。2012年同教授。視覚・色覚の研究から、近年は照明の快適性や照明の評価に関する研究に従事。有機EL照明の国際標準化に関わる活動も行っており、IEC(国際電気標準会議)のWG3議長も務める。
2021年夏季大会に先立ちまして、若手の会ではサテライト講演を企画しています。
夏季大会のシンポジウムを初学者が楽しめるような導入のトークを関係する若手研究者にお話していただきます。
動物や色彩についての研究を理解するのに必要な知識などを解説していただきながら、講演者の最新の研究についてもご紹介いただく予定です。
また、講演後にはGathr townでの懇親会を予定しております。講演者に直接フランクに質問したり、聴講者同士気楽にお話できる機会になればと思います。
どうぞ奮ってご参加ください!
参加登録フォーム
https://us06web.zoom.us/meeting/register/tZcucOiqpzwvGtAcCDOOks329Sr7p_rq5CGe
対象:学部生〜ポスドク
開催:オンライン(Zoomミーティング・事前登録あり)
日程:2021年9月21日(火)15:00~17:20
15:00~16:10 幡地祐哉(相模原女子大学)「ハトにおける非霊長類型の視運動統合過程」
16:10~17:20 Takuma Morimoto(University of Oxford)「人の色覚系の基礎と機械学習に基づく色覚研究」
17:20~18:20 懇親会(オンライン)